通話 樋口恭介
「もしもし、もしもしSだよ。聞こえるか。もしもしーーああ、聞こえた聞こえた。オーケー、それじゃあ最終確認だ。そっちの準備状況はどうだ。ーーああ、うん、そう。大丈夫、心配ないさ、こっちはうまくやってる。準備はバッチリだよ。ーーそう、明日の午後六時、駅前のカフェ、ああ、なんていったっけな。あの、赤い屋根のさ、ーーああ、うん、そうそう、そこだよ。前もみんなで行ったよな。そこだ。そこに六時に集まって、三人いっぺんに行こう。ーー心配するなよ、武器は十分だよ。鉛パイプと千枚通し、それからこのあいだ小刀も手に入れた。それだけあれば大丈夫だろ。ーーああ、ああ、うん、大丈夫だよ、問題ない。盗聴の心配もない。安心しろよ。ーーえ? ははは、笑わせるなよ。アジトからかけてるわけないだろ。公衆電話だよ。実家の近くの公衆電話からかけてる。さすがに公衆電話まで盗聴されてるはずはないよ。もちろん公安もいないよ。だってさ、ここさ、一体どこだと思う? 当ててみろよ。ーーえ? ちがうよ。ちがうちがう。東京でもなければ神奈川でもない。答えは千葉だよ。千葉。わかる? 今俺千葉の田舎にいるんだぜ? 周りには畑しかないよ。尾行なんてされてたらすぐわかるよ。まあ、新宿までは尾行されてたけど、まいてやったよ。ーーえ? ははは、考えすぎだよ。さすがに実家まで押さえられてるはずがないよ。大丈夫、大丈夫だって、問題ないよ。ーーああ、ああ、大丈夫だよ、任せとけって。心配するなよ、心配しすぎてると成功するものもしなくなるぜ?ーーそれじゃ、予定通り午後六時な。三人で集まって、それから交番を襲撃する。目的は一つだけーー権力からの銃の強奪だ、いいな。それじゃあ、また」
ーー以上が一九七〇年一二月一七日、公安警察捜査記録のテープ起こしの抜粋である。本記録に基づき、一九七〇年一二月一八日の上赤塚交番は増員体制をとり、過激派の襲撃に備えた。その結果過激派の撃退は成功をおさめ、襲撃者三名のうち一名が死亡、二名が重症を負った。本記録の話者である過激派学生Sは、最初の銃撃で頭蓋を砕かれ、即死だった。交番前の路上に倒れこんだとき、彼は横浜国立大学の四年生で、二四歳だった。彼がいた場所に花束が添えられることはなかった。誰もその場所を振り返ることはなかった。彼の存在は翌朝の新聞を賑わせ、それからすぐに忘れられた。そもそも彼のことを知る人間はほとんどいなかった。彼は革命にかぶれた、よくいる危険な学生の一人でしかなかった。彼は世の中から消えた。彼の存在は消えた。彼はどこにもいなくなった。そうして一つの青春が終わった。故郷では田園が広がっていた。彼は何かに打ち込んでみたかった。彼は誰かのためになることがしたいと思っていた。彼は誰かに感謝されるようなことがしたいと思っていた。感謝される何か。誰かのためになる何か。誰かにとって意味のある何か。良いこと。善をなすこと。それらに類する何か。彼はそれを探し、そして見つけることができた。彼は故郷を思った。生まれてきたことを思った。友人の顔が浮かび、初恋の人の顔が浮かんだ。父親の顔が浮かび、母親の顔が浮かんだ。少なくともその瞬間には。
樋口恭介
SF作家。『構造素子』で第五回ハヤカワSFコンテスト大賞を受賞